みなさま、こんにちは!!六原です。今回が京都カテゴリー、一番最初の記事になります!
今回の内容は?
さて、初回ということで、何を書こうか非常に迷っておりました。最初の方、あるいは今後ずっとかもしれませんが、当サイトは私の友人の一部しか読まないでしょう。ですから、なるべく目を引き、今後も楽しみに新着記事を待っていただけるような内容にするべきです。
しかし、ここではあえて、当サイトの方向性を示すためにも、筆者が持っている中で、最もマニアックな内容をご紹介させていただくことにしました。
ということで今回の内容はオタク感満載です!まずは以下のマップをご覧ください。
こちら、後院通という京都市中京区に位置する、千本三条と四条大宮をつなぐ通りです。これを見て、みなさんは違和感を感じますか?
後院通の違和感
後院通のなにが不思議なのでしょうか。
まず、京都というのは碁盤の目の街だと言われていること、ご存知でしょうか。
794年、朝廷は現在の千本通に位置する朱雀大路を中心とする、平安京を建設へ遷都しました。条坊制の都市区画により、京都のまちは、南北、東西にまっすぐ伸びる大路、小路により、碁盤の目のように分けられました。応仁の乱で一時、荒廃しましたが、豊臣秀吉が短冊型の街割りで京都の街を再整備し、今でも碁盤の目は京都を語る上で必須となっております。
もちろん、京都市のすべてが碁盤の目のように道がまっすぐ伸びているわけではなく、中心部から離れるほど、道は煩雑になっていきます。
しかし、後院通が位置する中京区は京都市の中心部。京都市役所や二条城がある、アーバンなエリアです。ではなぜ、碁盤の目の京都にこのような斜めの道があるのでしょうか。
まずは観察
後院通を観察してみましょう。
最初に、後院通の周りに注目してみると、千本通が三条通以南になると道幅が狭くなっていることに気づきます。同じように、大宮通も四条通以北が狭くなっており、むしろ、千本通、後院通、大宮通が一本道でつながっているというふうに考えるほうが自然です。
千本通の西側には西高瀬川やJR西日本、山陰本線に含まれる嵯峨野山陰線が、南側の四条通には阪急京都線が通っております。後院通の中腹には、中京警察署もございますね。(ここまで伏線です。)その下側には、これまた斜めに接続する壬生川通がございます。昔は川が通っていたのでしょうか。
上の画像だとわかりませんが、後院通の北側には立命館大学朱雀キャンパスがあります。学生さんはJR二条駅か、阪急四条駅を通学のたびに利用するのでしょうか。
ストリートビューでも見てみましょう。
奥に立命館大学朱雀キャンパスが見えますね。さて、右手側に注目していただくと、他の電信柱とは趣の異なるポールが見つかります。
高さも低いですし、かなりサビついていますね。ぱっと見ると何もないこの道に、昔は何かあったのしょうか??
すぐ近くの電信柱も同様にさび付いています。
明治時代の航空写真
なんと、この時点では後院通の斜め通りは存在しません。そして、この時点で既にJR嵯峨野山陰線が存在していることがわかりますね。そして西高瀬川もございます。
次に、1913年の地図をば。大正最近實測京都市新地圖です。
発見しました。後院通です。つまり、1911年と1913年の間に敷設されたということがわかりますね。
両方の画像に共通するのは、千本通の周りに田んぼが多いとうこと。当時は今のような市街地ではなく、壬生村という田舎でした。ここから東側は、商人や貴族が住み、武家の別邸が広がる街なのですが。このような田舎に突如として現れた、規則破りの斜め通り。知れば知るほど、頭にハテナが浮かんできます。
長くなったので次回!
ここまで、後院通の特徴や、昔の地図の比較をして参りました。だいぶ様子が分かってきましたが、まだ「斜めである理由」は謎です。
実は、後院通が敷設された理由は知られておりますが、その経緯については意見が分かれております。次回は、その中でも有力な2つの説をご紹介させていただきます。次回の記事は
ここから
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ではまた。