京都市では明治以降の近代化に伴い、伝統的な旅館とは異なる洋風・モダン様式のホテルが各時代に誕生してきました。本記事では、古く明治から現在にかけて、京都市内で営業している京都ホテル、都ホテルの二つを取り上げ、その時代背景や創業者、建築的特徴、改称・買収などの変遷、そして現在の運営状況について詳しく解説いたします。
今回は明治時代に開業した、京都ホテル、都ホテルのご紹介です。
明治維新後、京都でも外国人旅行客の受け入れや都市近代化の必要性から洋式ホテルが求められるようになりました。当初は円山公園の「也阿弥ホテル」のように既存の料亭や宿坊を転用した施設が外国人宿泊客を集めていましたが、やがて本格的な洋式ホテルの建設計画が立ち上がります。
明治21年(1888年)に常盤ホテルとして創業、明治23年に京都ホテルが開業。

出典:ホテルオークラ京都
神戸で料亭「常盤花壇」を経営し成功を収めていた実業家・前田又吉は、京都でも近代的ホテル事業を興すべく、明治21年(1888年)に二条橋西詰(鴨川二条大橋畔)の地に「常盤ホテル」を開業しました。当時京都を訪れる外国人客の多くは円山公園の也阿弥楼(ホテル)に宿泊しており、前年には765名が滞在していたとの記録があります。 こうした外国人需要を京都市内に呼び込むため、前田は政界の重鎮とも交流を持ち計画を推進。伊藤博文の尽力により、長州藩邸跡「舎密局」の払い下げを受けて本格的な洋風ホテル建設用地を確保しました(現在の中京区河原町御池付近)。明治23年には、琵琶湖疏水が開通し京都市の近代化が進むタイミングに合わせ、木造3階建て・客室20室の洋式ホテル建築が急ピッチで進められました。
創業者の前田又吉は神戸の名士として政財界人脈が広く、伊藤博文の後押しも得てホテル開業を果たしました。しかし経営は順風満帆とはいかず、ロシア皇太子(のちのニコライ2世)一行の宿泊先に決定して増築するも大津事件の影響で披露式典が中止になるなど、不運も重なります。経営難から明治25年(1892年)頃には三井銀行から多額の借入を抱え、明治27年には差押え訴訟に発展しました。窮地を救ったのは、当時也阿弥ホテルを経営していた井上万吉の弟・井上喜太郎でした。彼は京都のホテル業の将来性を見抜き、明治27年8月に常盤ホテルを約5万円で買収して名称を「京都ホテル」と改め、設備刷新の上で明治28年3月に開業しました。開業披露式には京都・大阪の実業家ら100名以上が参列し、同年開催の内国勧業博覧会(平安遷都1100年記念博覧会)で賑わう京都の迎賓館的存在となります。
明治23年(1890年)の開業時の京都ホテル本館は、和洋折衷ながら京都初の本格的洋館でした。木造3階建てでバルコニーを備えた優美な外観を持ち、館内の家具・織物・畳・陶器は京都の業者によるものでした。また、西洋料理を提供する食堂や、玉突き場や楊弓場まで併設されていました。大正2年(1913年)には京都商工会議所の仮事務所が置かれ、各種晩餐会や社交行事の舞台となるなど、京都財界・政界人も集う社交場として機能しました。明治45年の明治天皇崩御に伴う京都御陵参拝の折には皇族・華族も宿泊し、大正4年の大正天皇即位大典では15か国の特使一行の宿舎に指定され、宮内省に全館貸し切られるなど、内外の要人を迎える迎賓館的役割も担っています。

出典:京都ホテルグループ
大正6年(1917年)には、渋沢栄一の隠退披露会が京都ホテルで行われました。
京都ホテルは昭和2年(1927年)に株式会社組織へ改組され(社主井上喜太郎は大正8年没)、以降も京都随一の老舗ホテルとして存続します。昭和戦前期には昭和3年の昭和天皇即位の礼に伴う外国使節の宿泊や、太平洋戦争時の混乱を乗り越え、戦後も営業を継続。さらに平成6年には老朽化した建物を全面建て替えし、地上17階建ての新本館が完成しています。平成13年(2001年)、ホテルオークラと業務提携し、翌14年にオークラホテルズ&リゾーツのブランドへ加盟し、ホテル名を「京都ホテルオークラ」と改称しました(運営会社名は株式会社京都ホテルのまま)。令和4年(2022年)には「ホテルオークラ京都」に改称(同年、岡崎地域に「ホテルオークラ京都 岡崎別邸」)し、オークラグループの一員として、現在も京都市を代表するラグジュアリーホテルの地位を保っています。平成30年の創業130周年には、創始者前田又吉と支援者伊藤博文の銅像を敷地内に建立し、長州藩邸跡碑や桂小五郎像とあわせ明治期ゆかりの史跡巡りができます 。

出典:京都ホテルグループ
現在のホテルオークラ京都は、令和8年(2026年)時点で320室の客室を備える都市型高級ホテルです。運営会社の株式会社京都ホテルには、ホテルオークラのほか、ニチレイや京阪ホールディングスなども出資しており、ホテルオークラが筆頭株主として経営に参画しています。こうした資本関係のもと、長い歴史の中で培われた老舗ホテルとしての格式を受け継ぎながら、客室や館内設備、サービスの改修も継続的に行われています。現在では、京都市中心部を代表するシティホテルの一つとして営業しています。また運営会社の株式会社京都ホテルは、河原町御池のホテルオークラ京都に加え、四条烏丸のからすま京都ホテルも運営するツインブランド体制を築いています。
明治23年(1890)年に吉水園として創業、明治33年に都ホテル開業。
京都で京都ホテルに次ぐ洋風ホテルとなった「都ホテル」は、東山区・蹴上の山麓という当時としては市街地から離れた高台に明治33年(1900年)に創業しました。もともと明治23年頃、京都の豪商・西村仁兵衛らが蹴上に憩いの遊園地「吉水園」を開設したのが始まりです。蹴上地区は京都の近代化を支えた多目的水路である琵琶湖疏水の要衝で、インクラインや、後に水力発電所や浄水場が整備されるなど、近代化の象徴的地域でした。西村はその地にツツジで有名な庭園を造営し、料亭や娯楽施設を備えた保養地としました。その後、「園内に宿泊施設を増築してホテルとする」構想が持ち上がり、明治33年に吉水園内で都ホテルが開業したのです。
創業者の西村仁兵衛は油商として財を成した実業家でした。彼は京都市商工会議所の幹部も務め、京都の観光産業に熱心に取り組んだ人物です。都ホテル開業当初は個人経営でしたが、観光ブームに乗り業績を伸ばし、大正4年(1915年)には株式会社組織に改組されています(社長は片岡直温)。また明治~大正期にかけて、京都ホテルと並んで外国人観光団の定宿となり、たとえば明治44年4月にはアメリカの大観光団300名が京都ホテルと都ホテルに分宿しています。こうした中で都ホテルは「京都の迎賓館」としての地位を確立し、京都ホテルと双璧をなす存在になっていきました。
創業当時の都ホテル本館は、東山の丘の上に建つ木造洋館でした。大正末期までに客室数は70以上に増え、広大な日本庭園「葵殿庭園」(七代目小川治兵衛(植治)が昭和8年に作庭)や純和風の茶室「可楽庵」(同じく昭和8年に造営)を備えるなど、和洋融合の趣向を凝らした施設でした。昭和初期には、近代建築家・村野藤吾が設計を手掛けるようになり、昭和11年竣工の新館(5号館)を皮切りに、多くの増改築に関与しました。なかでも有名なのが数寄屋造り別館「佳水園」で、村野の設計により昭和34年完成した純和風建築です。佳水園は料亭旅館の趣を持ち、昭和期モダニズムと日本伝統建築の融合した名作としてDOCOMOMO Japanにも選定されています 。館内の日本庭園「佳水園庭園」も初代小川治兵衛の長男・小川白楊が大正14年に作庭しており、滝や白砂の中庭が美しく、京都市の名勝に登録されています。こうした庭園美や建築美は、都ホテルが単なる宿泊施設にとどまらず、「滞在そのものが京都文化体験」となる空間を提供してきた証と言えます。
戦後の観光復興期、都ホテルには鉄道会社の近畿日本鉄道(近鉄)が資本参加し経営に携わるようになりました。1960年代前半から村野藤吾の指揮で現在の本館(地上11階建て鉄筋コンクリート造)の建設が進み、昭和36年に完成しています。これにより創業時の木造本館は近代的高層ホテルへと生まれ変わりました。また昭和31年には米国のウェスティン・ホテルズと業務提携を結び、海外のホテルチェーンとのネットワークを構築しています。その後も近鉄資本下で拡張と改装が続き、平成14年に親会社近鉄グループがウェスティンブランドを所有するスターウッド社と提携。都ホテルはウェスティン都ホテル京都と名称変更し、国際ブランドの一員となりました。この際に全館にわたる大規模リノベーションが実施され、外資系高級ホテル水準のサービスと設備を取り入れています。直近では令和2年の創業130周年に向け、平成30年~令和3年に総工費198億円にも及ぶ全面改修工事を実施し、天然温泉スパ新設などを行いました。現在も西館ロビーの螺旋階段など村野藤吾ゆかりのデザインが随所に活かされており、歴史的意匠と現代的ラグジュアリーが融合した空間となっています。
ウェスティン都ホテル京都は、引き続き近鉄グループの都ホテルズ&リゾーツが運営し、マリオット・インターナショナル(旧スターウッド)のウェスティンブランドを冠しています。客室数は266室(うちスイート99室)で、京都有数の規模と格式を誇るリゾート系ホテルです。広大な敷地内に複数の庭園やチャペル、宴会場、レストランを備え、特に外国要人の滞在や国際会議の開催など「京都の迎賓館」としての役割を今なお担っています。近年は映画のロケ地になるなど(村野設計の螺旋階段が話題となりました)、歴史とモダンが調和した魅力で国内外から注目され続けています。

出典:ウェスティン都ホテル京都
都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)をルーツとする都ホテルズ&リゾーツ は、戦前から京都・大阪を中心に展開してきた老舗ホテルブランドです。戦後、このブランドは近畿日本鉄道(近鉄)グループのもとに入り、沿線のリゾートホテルや都市型ホテルを一体的に運営する体制が整えられました。
京都に限って見ても、
という三つの拠点を持ち、「リゾート(蹴上)」「駅前大型(八条口)」「駅ナカ(近鉄構内)」という異なる役割を分担しています。鉄道会社が自社ターミナルの上や周辺にホテルを配備し、輸送と宿泊を一体でデザインする──その典型例が、近鉄グループと都ホテルズ&リゾーツによる京都でのホテル展開です。
京都ホテルグループ
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