街には、さまざまな機能が潜んでいる。道を歩いて、ふと上を見上げてみよう。例えば、電線。頭上を走る複雑な網の目は、まるで都市の神経系のようだ。現在、私たちの家庭や都市インフラに供給されている電力の多くは交流(AC)であるが、かつてこの仕組みは、トーマス・エジソンとニコラ・テスラの間で激しい技術論争を巻き起こした。エジソンは直流(DC)を、テスラは交流を支持した。最終的には、長距離送電に優れた交流が主流となり、今日の電線網の基礎を築いたのである。今、頭上を横切るその線は、100年以上前の科学的対立と技術革新の延長線上にある。
今度は足元に目を向けてみよう。郊外であれ都市部であれ、地面に繰り返し現れる円形の蓋、マンホールが目に入るだろう。上下水道、都市ガス、通信ケーブルなど、多種多様なインフラが地下を血脈のように走り、生活用水、燃料、情報といった生命線を、私たちのもとへ絶え間なく送り届けている。これらの多くは各家庭の暮らしを支え、我々の身体と生活、さらには文化そのものを静かに育んできた。
しかし、そんなマンホールの中には、我々の生活とは直接関わりがなさそうなものもある。それが、JRマンホールだ。
JR——日本国有鉄道の民営化によって生まれた巨大企業体であり、その中でもJR東日本は、7,418.7kmにおよぶ路線網、1,682の駅、そして47の営業エリアを擁している。この鉄道の大動脈は、明らかに私たちの日常の移動と密接に結びついている
1。
にもかかわらず、筆者らが発見したその「JR」の刻印されたマンホールは、こうした鉄道の基盤から離れた、まったく別の場所にぽつりと存在していた。一体、これらのマンホールは、いつ、何のために設置されたのだろうか?
きっかけ
ある日、ちょっとした用事で、西荻窪駅から吉祥寺駅まで友人と歩いて向かっていた。中央線を使えば数分の距離だが、筆者にはこの界隈にまつわる私的な思い出があり、あえて徒歩を選んだ。雑談を交えながら町の表情を味わい、道すがらの風景を楽しんでいた。
中央線——というより、東京都内を走る多くの鉄道路線に言えることだが——線路と一般道の配置は必ずしも平行ではない。我々が歩いた西荻窪と吉祥寺の間も例外ではなく、整備された街路は線路とジグザグに交錯し、時に遠ざかり、時に近づきながら、独自のリズムで流れていた。
そんなとき、ふと筆者は足元に目をやった。普段、地面に特別な注意を払うことは少ない。しかしその日は、ある異質なものが目に留まった。マンホール——それも、大きな蓋の中央に「JR」と鋭く刻まれたものだった。
既述のとおり、我々が歩いていた道は中央線の線路からやや離れており、周囲には鉄道関連の施設らしきものも見当たらない。耳を澄ませば、遠くに中央線快速電車や総武線各駅停車の走行音がかすかに聞こえてくる程度。周囲は完全に住宅街であり、鉄道の「気配」は、まるで幻のように薄れていた。
我々が歩いていたルートと突如として現れたJRマンホール
にもかかわらず、地面には「JR」が確かに刻まれている。その存在感は不思議な重みを伴っていた。
芋づる式に見つかるマンホール
その日のうちに、筆者は帰宅してすぐにGoogle Street Viewを用い、あのマンホールの所在を調べはじめた。幸い、Google MapsにはTimeline機能があり、特定の日時にどの道を歩いたか、どのような手段で移動したかが記録されている。都市の記憶をなぞるこの機能は、過去を精密に追体験する手助けとなる。
やがて、あのマンホールをあっさりと特定することができた。しかし同時に、あの「発見」が特別な一点ではなかったことにも気づかされた。我々が偶然見つけたあのマンホールは、実は数あるJRマンホールのうちの一つに過ぎなかったのだ。あのとき、気づかなかっただけで、あの道沿いには他にも多くのマンホールが静かに鎮座していた。まるで街の地肌に隠された記号のように、我々の足元に沈黙していたのである。
我々が最初に見つけたマンホールの周囲を辿っていくと、まるで芋づるを手繰るかのように、次々とJRマンホールが姿を現した。そこには、地下に何かが通っているという確かな手応えがあった。マンホールたちは、それが目には見えぬものであっても、確かに「何か」がここを通っているのだと告げていた。それは、JRの維持に不可欠な資源、あるいは情報やエネルギーをどこかからどこかへと運ぶ、都市の見えざる流れを示唆していた。
そもそもなぜ我々は見つけることができたのか
Street Viewでマンホールを探しながら、筆者の中に一つの疑問がふと浮かんだ。
これらのマンホールが、地下で何かを運ぶ導管の“のぞき穴”だとすれば、なぜ無数にある都内の道のなかで、我々は偶然にもその毛細血管のような経路にたどり着くことができたのか?
その問いはしばらく筆者の頭の中に残り続けたが、やがて一つの仮説が浮かび上がった。思えば我々は、西荻窪駅から吉祥寺駅へと、なるべく距離や労力を損なわない、最短に近い経路で歩いていた。であれば、JRマンホールの下を通る管もまた、合理的に設計され、できるだけ直線的な経路を辿っていたのではないか?
もちろん、それが駅から駅へと何かを繋いでいるのかどうかは定かではない。しかし仮にこの管が、西から東へ、あるいは東から西へと、物資や信号、動力といった何かを運んでいるのだとすれば——その「流れ」は杉並区と武蔵野市の間を通過せざるを得ず、そしてこの都市特有のジグザグとした地形を避けることはできないだろう。
我々が歩いた道は、いつかこの管を設計した技術者たちが地図上に引いた線と、無意識のうちに重なっていたのではないか。数十年前、あるいはもっと昔に誰かが設計した「最適な線」を、我々もまた自らの感覚でなぞっていたのである。西荻窪から吉祥寺へ徒歩で向かおう——そんなささやかな提案を筆者がした瞬間から、実のところ、JRマンホールを見つけることは運命づけられていたのかもしれない。
インターネットで探してみた
このようなマンホールが他にないか、調べてみた。こんな特徴的なマンホール、情報社会で誰も見つけていないはずがない。「JRマンホール」と検索するだけでたくさんヒットした。なんなら、マンホールを特集しているサイトもあるようだ。ネットの大海原には実にたくさんの趣味を持った住人が暮らしているようだ。
JRマンホールは西荻窪-吉祥寺間にしかないわけではないようだ。阿佐ヶ谷駅付近の近くにもあるという情報があった
2。ただし、それはJRマンホールではなく「工」マンホール。おそらく旧国鉄を管理していた工部省のマンホールだろう。
西荻窪と吉祥寺がマンホールでつながっていることが確認された時点で、筆者は直感的にこの阿佐ヶ谷駅付近のマンホールもこれらとつながっていると予想した。案の定、芋づる式にマンホールは見つかった。加えて、マンホールの下の管はJR中央線に沿うように通っているのではないかと予想した。
阿佐ヶ谷駅の周りで芋づる式に見つかるJRマンホール
芋を掘り当てよう
西荻窪や阿佐ヶ谷の駅近くにJRマンホールが確認された。であれば、他の中央線沿線の駅付近でも同様のマンホールが見つかるのではないか。そう考えて調査を進めると、その予想は見事に的中した。荻窪、高円寺、中野といった駅周辺でもJRマンホールが次々と発見され、これまでと同様に、一つを手がかりに次を掘り当てる、いわば“芋づる式”の探索が可能であった。
個別に見えていた断片的なマンホールたちは、こうして徐々に“連なり”としての輪郭を現しはじめた。さらに、インターネット上で得た御茶ノ水駅付近の目撃情報
3と、現地での周辺探索が相まって、最終的には
180箇所のJRマンホールを確認するに至った
4。
ここでは、その過程で見つけた、いくつか印象的な事例を挙げておこう。
むつみ荘
阿佐ヶ谷駅付近を探索している途中、偶然「むつみ荘」の前を通りかかった。ここは、お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰氏が若手時代に住んでいたことで知られるアパートである。そのすぐ前の道に、JRマンホールがひっそりと佇んでいた。
見つけたのは偶然にすぎないが、何気ない住宅街の一角に、JRの刻印が刻まれたインフラの断面が存在していることに、思わず感慨を覚えた。もちろん、「むつみ荘」とマンホールにはつながりがある、などと考えるのは少々ロマンチストに過ぎるかもしれない。しかし、そうした見過ごされがちな日常のすぐそばに、都市の大動脈が潜んでいるのだとすれば、それはそれで十分に詩的な現実ではないだろうか。
荻窪駅
荻窪駅周辺においても、JRマンホールの“連なり”は確認された。ただし、この区間には特異な点がある。西側に位置するマンホール群は北寄りに、東側のそれらは南寄りに存在しており、地上から見える範囲ではその連続性を視認することができなかった。
西側の終端は、荻窪駅の二輪駐車場内にあるマンホールで確認できるが、それ以上先はJR東日本の私有地となっており、立ち入ることはできない。
そもそも、マンホールは地下を走る管に対して保守・点検を行うためのアクセス口として設置されるものである。そう考えると、この荻窪付近の管が線路の真下を通っている可能性は低い。保守性や安全性を考慮すれば、地下の管はどこかで地上へと「這い上がる」構造になっているはずである。目に見える連なりが一時的に途切れているのは、そうした地形的・構造的制約によるものと推測される。
JRマンホールの出発点
ここまで、筆者たちはJRと刻まれたマンホールの存在に驚き、それが単なる点ではなく、地下に通じる“連なり”であることを発見し、芋づる式に180箇所もの設置地点を特定するに至った
4。その痕跡は、都市の地面に控えめに浮かび上がり、まるで誰かが描いた都市の静脈図をなぞるかのような作業となった。
この探索において、Google Street Viewは強力な道具であった。実地に足を運ぶことなく、どこからでも都市の地表を歩き回ることができる。特にGoogle MapsのTimeline機能は、筆者らがどこを歩いたのか、いつ歩いたのかを可視化してくれる。まさに、都市の記憶を追体験するような感覚だった。
とはいえ、探索が常に順調だったわけではない。不思議なことに、見つからないときにはまったく見つからず、見つかるときには連鎖的にいくつも現れる。その配置も、筆者が当初予想していたような“合理性”に基づいているとは限らなかった。むしろそれは、技術者側の都合、地形、歴史的な文脈など、複数の要因が複雑に絡み合っているようだった。
マンホールが映し出す地下の“道筋”は、決して真っ直ぐでも直線的でもない。それは、たわんだケーブルのように柔らかく、気まぐれに折れ曲がりながら地中を進んでいる。その屈曲は、物理的な制約であると同時に、都市の歴史が地中に刻んだしわのようでもあった。
ついにマンホールの出発点が…
探索を重ねる中で、マンホールの連なりはある地点を境に、突如として途切れた。それまで順調に芋づる式に見つかっていたJRマンホールが、どれだけ画面を凝視しても、どれほど直感を働かせても、まったく姿を見せなくなったのだ。
それは、まるで都市がそこで呼吸をやめたかのような、静かな終点だった。
ふと、筆者は長く下を向いていた視線を、何の気なしに前へと移した。すると、そこには鉄骨の塀に囲まれた巨大な変電施設があった。最初は東京電力の設備かと思ったが、入口に掲げられた看板には、はっきりとこう書かれていた。
「JR東日本武蔵境交流変電所」
調べてみると、鉄道は一般家庭とはまったく異なるスケールの電力を必要とし、66kVや154kVといった高電圧で電気を送る専用のインフラを構築していることが分かった。とりわけ、かつては66kVのOF(Oil-filled)ケーブルが新宿方面へと地中に敷設されていたという記録もあり、現在では154kVのケーブルが線路沿いのトラフ(溝構造)を通じて送電されているとされる
5。
武蔵境駅近郊のJR人孔 この人孔は、かつて新宿交流変電所の送電していた66kVのOFケーブルが敷設されたいた可能性がある。現在は154kVのOFケーブルで新宿交流変電所に線路沿いのトラフで送電されている
5。
もちろん、これがJR東日本の公式な情報に基づくものではない以上、断定は避けるべきだろう。しかしながら、探索の流れがこの地点で終わったこと、そしてすぐ近くに高圧送電のためのJR施設が実在するという事実は、状況証拠としてあまりに強い。
ここまで探し続けてきたJRマンホールたち。その地中には、鉄道の命脈ともいえる高電圧の送電ケーブルが走っている。そして、その“地上に現れた痕跡”としてのマンホールの出発点が、まさにこのJR東日本武蔵境交流変電所である、という仮説には十分な説得力があるのではないか。
ネコバスと送電線
ちなみに、この変電所のすぐ近くには、アニメーションスタジオ「
スタジオジブリ本社」がある。作品『となりのトトロ』の中で、ネコバスが電線の上を颯爽と駆け抜けていく印象的なシーンがあるが、あの電線は、この変電所を通過点とする実在の送電線にインスパイアされたものだという
6。
残された謎
すでに述べた結論は一旦の到達点にすぎない。だが、都市の地下に眠るこの秘密には、まだまだ腑に落ちない点が数多く残されている。これらの謎を解くためには、さらなる慎重な調査が必要だ。
一筆書きとは限らない
下の地図を見てほしい。阿佐ヶ谷駅付近には二本の管路が並走している様子がうかがえる。これらがつながっているのかは、現状の調査では確認できなかった。
もしこれらが高電圧ケーブルであり、駅で合流しているのだとすれば、なぜこのように枝分かれした構造が存在するのか、その理由は不明である。
国立駅にも発見
外部サイトの情報から、国立駅にも同じようなマンホールがあることを知った
7。実際に存在した。
このマンホールから北へまっすぐ進むと、鉄道総合研究所が位置している。しかし、それまでの間の道筋にはマンホールは一切見当たらなかった。
興味深いことに、そのマンホールのすぐ隣には、JR東日本か自治体によって設置されたと思われる案内板があり、かつては鉄道総合研究所と国立駅が何らかの形でつながっていた可能性を示唆している。
このマンホールがそれと縁を持つ存在であることは想像に難くないが、現在も利用されているかどうかは不明である。
新幹線「ひかり号」のかいはつにちなみ「鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)」がある町名を昭和41年(1966年)に「平兵衛新田」から「光町」へと変更した。国立駅から鉄道総合技術研究所まで敷かれた引込線の跡地を緑道として2015年4月に「ポッポみち」が開通した。
国立駅のJRマンホールの付近にあった説明板
出典:筆者が撮影(夜間のため暗い)
完全につながったわけではない
筆者が発見したJRマンホールが、地下の管で連続していると予想できるのは、新宿駅付近までの区間に限られる。
そこから先は、全くつながりが見られない。旧万世橋駅(御茶ノ水駅近く)から神田駅付近にかけて、いくつかのマンホールが連続している区間が存在するが、これら二つの区間が同一の管路に属するものかどうかは、現時点ではわかっていない。
最後に
筆者の調査は、厳密な意味での調査と呼べるほどのものではない。文献に裏打ちされた学術研究ではなく、単なる素人がGoogle Street Viewを遊び感覚で探索し、その中から生まれたささやかな考察に過ぎない。
また、仮に本当に高圧ケーブルがこのマンホールの下を走っているとしても、電気系統に関する専門的な知識が皆無の筆者には、すべての疑問に答える自信は現時点でまったくない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。思考の過程を惜しみなく紙面に展開したがゆえに、JRマンホールの謎を手短に知りたい方にとっては、やや退屈な記事となってしまったかもしれない。議論は幾度となく行ったり来たりし、一貫性を欠いた部分もあっただろう。そんな方々のために、今回の調査で得られたことを簡潔にまとめる。
今回発見したJRマンホールは、中央線沿いを連なるように点在し、おおむね駅に近接しているものの、その配置は必ずしも線路沿いに限定されない
これらのマンホールは、JR東日本武蔵境交流変電所へと続いていると推測され、その下には高圧ケーブルが走っていると見られるが、最終的な終着点は未だ不明である
最後に、少しだけ筆者の個人的な物語を共有したい。最初にマンホールを見つけた西荻窪と吉祥寺の近くには、筆者が通っていた高校があった。冒頭で触れた“思い出”とはまさにこのことである。参考書や文房具を求めて、最寄り駅の西荻窪ではなく、吉祥寺まで足を伸ばしていたのだ。
一人で登下校するときは、本を読みながら歩くことが多く、道ばたにそんな不思議なマンホールがあるとは気づきもしなかった。なんなら、吉祥寺へはほとんど定期券で移動していた。
高校時代、吉祥寺まで歩いたのはいつも、友人との下校中、別れの寂しさを紛らわすために話を引き伸ばそうとして、提案していたときだった。「吉祥寺に用事がある」と言えば、友人は喜んで一緒に歩いてくれた。あのとき何度も足元のJRマンホールを踏んでいたことだろう。
今思えば、あのマンホールは静かに、しかし確かに我々を見守っていたのだと思うと、不思議な感慨にとらわれる。
JRマンホールを見つけたのは、高校卒業後のことだ。大学に進学し、さらに院生となり、学びの深度も求められる集中力も、当時の十倍は増えた。JRマンホールに気づけたのは、私が下を向くことが多くなったのか、視野が広がったのか、それともただ偏屈になっただけなのかはわからない。しかし確かなのは、あの頃とは違う視点と世界をもって、あの街を見つめられているということだ。
都市の足元に広がる見えざる網目は、日常の喧騒の裏で静かに息づいている。わたしたちの歩みと記憶が重なり合いながら、これからも変わらずその脈動を刻み続けるのだろう。
引用したサイト